友人の誘いで始めたキャバクラ

高校を卒業してから一度美容の専門に通ったんですが、そこで知り合った子の紹介でキャバクラのバイトをしたのが最初でした。
始めは週1日も出勤していなかったと思います。本当に腰かけで、暇だしノルマもないお店だからなんとなく在籍していた気がします。
入店して2カ月くらいで誕生日が来て。そこで初めてお客さまにシャンパンを入れてもらったんです。それがビックリするくらい嬉しかったんですよね。
それまでは接客が楽しいとも思っていなかったし、実家暮らしだったからお給料だって遊び代だけもらえればよかったので。でも、その月の売上が思ったよりよくてそこから頑張ってみようと思いました。
フリーのお客さまに付いたら自分から連絡先を聞いたり積極的になりました。
そしたらいつの間にかナンバー入りするようになって。今思えばその頃からです。生活が変わったのは。
高みを目指して日本屈指の歓楽街・歌舞伎町に足を踏み入れる
いざ、歌舞伎町のキャバクラへ

それまで働いていたお店よりもっと上の、もっと本物のキャバ嬢になりたいと思って歌舞伎町のお店に移籍しました。
面接は意外と若いボーイさんでした。前のお店は年配の方が多かったので、ちょっと緊張したのを今でも覚えています(笑)
美容の専門に通っていたので、希望出勤は平日込み週3でお願いしました。そしたら、歌舞伎が初めてから最低でも週4は出勤した方がいいと言われて。
私もよくわからなかったんで、言われるがまま週4勤務にしたんです。
歌舞伎町初出勤

初出勤の時はロッカー室から緊張感がすごかったですね。
やっぱりオーラが違うというか。出勤の時からブランド品の服を着ていたのも驚きました。前のお店はスウェットで出勤している女の子もいましたから。
営業が始まるとお客さまがどんどん来て、つけ回しのボーイさんに私も呼ばれました。最初に付いた方は普段他のお店に行っているという40代くらいの男性でした。
その後も団体やお一人さま、テレビで見る芸人さんなんかがいらっしゃいました。前のお店と違いすぎて驚きました。とても同じ業態のお店とは思えませんでしたね。
その日、家に帰ってからすぐカードローンでお店用のバッグを購入しました。シャネルのマトラッセでした。
ついに専門を退学し、夜職一色に
専門学校との両立の難しさ

歌舞伎町に移籍してから、しばらくは自分なりに学業との両立も頑張っていたと思います。でも、週5の学校と週4のキャバクラ出勤は私には無理でした。
翌朝は全く頭が働いていないし、ゾンビみたいに学校に行っていた気がします。
しかも実家暮らしでしたから、親からも色々言われてしまって。大学に進学してほしいと言われていたのに、それを押し切って専門に入学させてもらったんです。
それなのに毎日夜出歩いていて、遅刻ぎりぎりで学校に行く娘を見れば文句のひとつも言いたくなります。
でも、当時の私はそれも受け入れられなくて。
アフターで行ったバーで知り合った男性の家にしばらく入り浸るようになりました。
歌舞伎町で知り合った男性宅での生活

もちろん、親からも連絡は来ていましたよ。学校に行っているかもわからないし、1週間も家に帰っていませんでしたから。
でも、家に帰るつもりはなかったし、学校に行く気ももうありませんでした。それより目の前の仕事と彼の事ばかり考えていましたから。
始めはお互いの仕事が終わったら待ち合わせして買い物したり、一緒にご飯を作ったりしていました。でも、そんな生活も長くは続きませんでした。
生活費は基本的に彼が出してくれていたので、私はいわば"居候(いそうろう)"だったんです。
それから生活費や家事を分担するようになって、いつの間にか一緒にキッチンに立つこともなくなっていました。
彼への誕生日プレゼント

それからは倦怠期かなあ、と思いながらもなんとなく過ごしていました。
でも、来週彼の誕生日というタイミングが来て、なにかプレゼントしたいと思いました。彼に聞いたらクロムハーツのアクセサリーがいいと教えてくれました。
高額なのはわかっていましたが、リボ払いを使えば購入できたので、彼の喜ぶ顔が見たくてブレスレットとチェーンブレスをプレゼントすることにしました。当時複数のブレスレットをじゃらじゃら着けるが流行っていたんです。
プレゼントの金額は100万円を超えていました。
親との関係と専門退学

そうそう、彼の誕生日を迎えたころにはもう専門も退学していました。彼と同棲を始めてから一度も学校に行っていなかったんで強制退学になっていたんです。
その間も親からは連絡がありましたが、時々メッセージを返すくらいであまり接点はありませんでした。
今さら実家に帰るのが気まずいのもありましたね。それに一応家もありましたから、そこまで焦ってもいなかったというか。
とにかく、キャバクラでの仕事と彼のことしか考えていなかったんだと思います。
思いを寄せた彼との別れ

リボ払いを使って購入した彼への誕生日のプレゼントはもちろん喜んでくれました。クロムハーツはあの頃の男性みんなこぞって憧れていましたから。
でも、そんな生活も終焉を迎えることになりました。
ある日彼の携帯が鳴って、見えちゃったんです。女性とのやり取りが。「昨日はいっぱいありがとう」って。
始めはバーのお客さんかと思ったんですが、続けて「次はAくんの家でしたい」とメッセージが届いていました。
浮気です。
正直いつから関係があったかはわかりません。でも、もう別れようと思いました。彼に誕生日プレゼントを渡した翌日の出来事でした。
彼との思い出を箱にしまって仕事一筋に!
家探しと引っ越し

結局その彼とはすぐにお別れしました。というか、荷物だけ持って出てきました。
連絡が来ていたのは朝だったので、荷物を持ってその足で不動産屋さんに行ったんです。「今スグ入居できる家を紹介してくれ」って言ったら担当された方もビックリしていましたね。
でも、1週間後に入居できる家が見つかったんです。その間はお店の女の子に泊めてもらって、なんとか生活を繋いでいました。
仕事に全力投球した20代

そこからはほとんど男性とお付き合いすることもなく、とにかく働きました。気が付けば週6日出勤してました。
お給料が増えるのが面白くてどんどんお客さまにもアピールして、同伴やアフターも毎日していましたね。
ある日気が付いたら、29歳になっていました。
ふと思ったんです。このままで私の将来どうなるのかな?って。そうは言っても他の仕事もしたことないし、生活基準は変えたくありませんでした。
10代から始めたキャバクラ歴は10年を超えた
いつか、いつか。夜職を辞めたいと思いながらもつい、キャバクラを続けていました。
たしかに大変なこともありました。でも、欲しいものは買えるしいい家にも住める。私にはこの仕事が合っていると思っていました。
彼に出会うまでは。
人生を変えた彼との出会い

30歳目前になった時、ひとりの男性と出会いました。最初はただのお客さまだったんですけどね。
気が付いたらプライベートな話をしていたし、この人と付き合ってもいいとすら思うようになりました。彼のことが好きだったんだと思います。
仕事もうまくいっていて、売上はいつも上位に入っていました。私は特にシャネルが好きで、新作が出れば必ずと言っていいほど購入していました。
初めて買ったブランドものがシャネルだったので、なんとなく思い入れがあったんですよね。
今の仕事を続けていれば欲しいバッグもアクセサリーも購入できる。だから自分で自分を納得させようとしていたところもあるかもしれません。
でも、彼は違いました。ある日、キャバクラを辞めてほしいと言ってきたんです。
他の仕事もしたことがなく迷っていましたが、結婚して専業主婦になってくれてもいい。夜の仕事でなければ好きな仕事をしてくれてもいい、と選択肢をくれました。
私は迷うことなく「はい」と答えていました。本能的なものもあったかもしれません。
少し不安もあったけど、彼がいなくなることの方が嫌だったんです。
次の日お店に出勤した時、3カ月後に退店したいと伝えました。担当のボーイも驚いていましたが、理由を説明したら喜んでくれました。
長年働いたキャバクラを辞め、彼との同棲生活スタート
彼との生活が始まる

住んでいた家をすぐに解約して彼の家に引っ越しました。違約金なんかもどうでもよかったですね。とにかく早く彼と暮らしたかった。
彼も快く受け入れてくれて、毎日楽しかったです。
仕事に行く彼を見送り、家事をする。夕方になったら夜ご飯の用意をして彼の帰りを待ちました。
1カ月くらい経ったころでしょうか。そんな日々が退屈になりました。
平凡な生活が退屈に

元々趣味もなく、日中なにをすればいいかわからなくなったんです。家のことはある程度するけど、だんだん彼も喜んでくれなくなって。
家事のやりがいもなくなってきた頃、シャネルの新作を買いました。特に欲しくもなかったけど色違いやサイズ違いのものも買って、心を満たそうとしました。
でも、ちょっとお金を使ったくらいで気持ちが晴れることはありませんでした。
趣味のように浪費する

少し貯金は残っていたので、買い物に興味が沸いたんです。次に集めたくなったのはエルメスでした。
エルメスって、1度や2度お店に行っても売ってくれないものとかあるんです。バーキンなんかがそういう商品ですね。
だから、まずはキーホルダーとか比較的手ごろなものを買って、何度も通ってお店の人に覚えてもらうんです。
そしたら裏の商談室みたいなところに案内されて、ずっと欲しかったバーキンを見せてもらいました。もちろん即決。すぐに購入しました。
でも、ここで私の貯金はなくなっていました。昔からお給料はすぐに使っていましたから。残りなんてしれてたんです。
消費者金融を利用する

前年度の確定申告書を提出して消費者金融からお金を借りるようになりました。でも、この時私は彼の家に居候する無職で収入はなし。
自分で返済できる見込みもありませんでした。
でも、ブランド物の新作は季節が変わるごとに販売される、だから買わないといけない。多分買い物依存症だったんだと思います。
そんなことを続けていたら、ついに消費者金融から郵便物が届くようになりました。返済が滞っていたんです。
消費者金融の手紙って、他の人にはわからないように工夫された社名が記載されています。だから彼にはすぐバレなかったんですけど、このままじゃまずいと思いました。
早く返さないと借金がバレるって。
それで、SNSで個人融資を探しました。
初めての個人融資利用

SNSで調べたらすぐに個人融資のアカウントが見つかりました。たしか「#審査なし」とか「#即金」とかって調べた気がします。
そこで見つけたアカウントの投稿に飛んだら融資しますって書いてあったんです。これしかないって思いましたね。
そこからはDMに移行してすぐに融資を受けました。利息のこととか返済のルールも聞いた気がしますが、正直あまり覚えていません。
とにかく消費者金融から郵便物が届かないように、彼にバレないように、そのことしか考えていませんでしたから。
鳴りやまない通知とメッセージ

最初の返済日は10日後でした。利息は3割で、最初に借りたのは10万円だったので13万円の返済が必要だったと思います。
でも、そんなお金用意できるはずもなくて。そしたら個人融資の担当の方から他の業者を紹介されたんです。
とりあえず今回の返済のために紹介された業者から借入ることにしました。闇金でした。
そこからは闇金・個人融資の2社から電話が鳴りっぱなしで彼にバレるとかそんな話ではなくなりました。
借金どころか闇金にまで手を出していた私は家を追い出されました。
行くところもなくたどり着いたのは実家
母の優しさと温もり

家もない、金もない、私が最後にたどり着いたのは実家でした。その時の記憶はあまりありませんが、財布も持っていなかったそうです。ポケットに突っ込んだお金を使って電車で実家に帰ったみたいでした。
人って疲れ切っていると記憶が飛んでしまうんですね。彼とケンカした後、気が付いた時には母の腕の中で泣いていました。
母に事情を説明したら、怒ることなく、途中で話の腰を折るでもなく、ずっと頷いて聞いてくれていました。
全てを話し終わった時やっと口を開き、「ご飯の用意するからお風呂に入っておいで」と言われました。きっと酷い姿だったんだと思います。
もう何年も帰っていなかったのに、なにも言わず話しを聞いてくれた母には今でも感謝しています。
弁護士への相談

実は私の母は自分で会社を興していて、父よりも仕事人間なところがありました。会社にも顧問弁護士がいたので、その方にすぐ連絡を取ってくれて私の借金と闇金の話しを聞いてもらいました。
正式に依頼してからは本当に速かったです。
毎日スマホの充電がなくなるくらい鳴り続いていた取り立て電話がピタッと止まりました。闇金も法律のプロ相手になにかしようとはしないんですね。
それから、闇金を利用する前に借りていた消費者金融。これも債務整理手続きをお願いして個人再生を行うことになりました。
借金減額と返済期間を延ばしてもらって、少しずつ返すことになったんです。
あんなに苦しかったのに、あんなに無理だと思っていたのに、すぐに楽になったんですよね。もっと早く相談すればよかったし、もっと早く素直に実家にも帰るべきでした。
今考えたらなにを意固地になっていたのかわからないくらいです。
再就職と新しい生活のスタート

それからは実家で暮らしながら再就職先を探しました。その頃にはもう31歳になっていて、30歳を過ぎて昼職をしたことがないと就職先に困るという現実を思い知りました。
年齢はOKでも、未経験OKの職業がほとんどなかったんです。
母には自分の会社で働いてくれてもいいと言われましたが、まずは自分で頑張りたいからとその話は断りました。
改めて考えて、私は地元のスナックの求人に応募しました。
たしかに、夜の仕事は私の人生を狂わせた世界です。でも、夜職のおかげで今の私があるんです。だからまた一から頑張りたいと思ったんですよね。
スナックに再就職して1年程経った頃、営業後ママに呼ばれました。「雇われママにならないか」と。ママはそろそろ引退を考えていたそうで、できればママになって欲しいとお誘いを受けました。
「二つ返事でママを引き受けることにし、今に至ります。この店はそんな経緯で成り立っているお店です。」
そう話してくれたのは、スナックのママさちさんだ。
彼女は現在、この店のママとして常連や在籍スタッフをまとめ、お店のマスコットとしても活躍している。
借金・闇金問題をリセットし、スナックのママとして新しい人生をスタート

カウンター越しに微笑むさちさんは、過去に借金や闇金のトラブルを抱えていた。今、ここで見られる姿にその姿に借金に悩んでいた面影はない。
元々ハマりやすく熱しやすい性格の彼女だが、ストレスから浪費癖がつき、借金だけでは事足らず個人融資まで利用してしまった。
結婚まで視野に入れていた彼とは破局。人生の絶望機を迎えた。
だが、その先には関係を絶っていた家族との復縁。また借金・個人融資の問題も母と弁護士の力を借りてすっきり解決している。
そして新たな人生をスタートしたのだ。
実は借金や闇金・個人融資などの多重債務が原因で自ら命を絶つ人は年間792人存在する。(2023年時点)
年齢 |
合計人数(人) |
男性の人数 |
女性の人数 |
~19歳 |
0 |
0 |
0 |
20~29歳 |
81 |
73 |
8 |
30~39歳 |
148 |
136 |
12 |
40~49歳 |
197 |
178 |
19 |
50~59歳 |
190 |
174 |
16 |
60~69歳 |
135 |
122 |
13 |
70~79歳 |
39 |
32 |
79 |
80歳~ |
2 |
2 |
0 |
不詳 |
0 |
0 |
0 |
合 計 |
792 |
717 |
75 |
引用元:金融庁 / 消費者庁 / 厚生労働省(自殺対策推進室) / 法務省(2024年10月9日)
この数字を見てどう思うかは自由だが、私は相談ひとつで救えた命もあると考えている。というのも、多重債務で自死を選んだ人の中には相談せず思い詰めた末に命を落とした人もいるはずだからだ。
今回自身の体験を語ってくれたさちさんの様に、相談さえできていれば新しい人生がスタートできたかもしれないのだ。または、彼女も相談できていなければ最悪の場合命を落としていたかもしれない。
まずは少しの勇気をもって弁護士や司法書士に相談するという選択肢を持ってほしい。彼女が辿った物語のように、そこには再起の可能性が残っているのだから。